2011年4月16日土曜日

Just Listening: 恋の日付変更線(渡辺満里奈)

力強いドラム、ベースに印象的な旋律のオープニング。打ち込みの音が80年代らしいといえばらしいのだが、10代のきらめきが散りばめられた曲だと今にしても思う。

♪見えない優しさ キミから感じる

夢と希望の旅立ち。収録アルバムの最後を飾るこの曲はひとつの時代の節目、すなわちおニャン子クラブ解散を受けてこれからどうする、という流れで発表されたというものだ。エピックソニーからレコードを発表していた渡辺満里奈はこのアルバムで等身大の、10代の心の揺れや夢を歌った。線の細さを感じたデビューからほぼ1年後。音程はともかく、独特の声に野太さがすわってきた。アーティスト然とするのではなく、音作りに凝るスタッフの中で伸びやかに歌う姿に好感が持てる。

ともかくこんなことをつらつら書き並べても陳腐なだけだ。学生生活の自由な雰囲気で、不安と夢が交錯する感覚がいま聴いても蘇ってくる。収録されたアルバムのタイトルが『EVERGREEN』。

♪若葉のころを通り過ぎても こころはEVERGREEN

まさに時がたってもグッとくるのである。

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「恋の日付変更線」
作詞:沢ちひろ 作曲・編曲:山川恵津子
アルバム『EVERGREEN』(1987年9月2日発売)収録。

2011年2月20日日曜日

日本アカデミー賞と俳優のコメント力

日本アカデミー賞のテレビ中継を見た。ギャグさえも用意してきたメモを見て読む関根勤。司会という自覚の感じられない松たか子。華やか、というよりも内輪受け、あるいは賞そのものの権威づけに対するしらけぶり、というのが伝わってくるちぐはぐなものだった。

広くあまねく公開されている映画のなかで優れたものを表彰し、映像文化を盛り上げようというよりも、公の場を使って女優や俳優、その背後にいる事務所関係者などを「接待」しているというような気持ち悪さ。回数を重ねてもそういうものがない限り、魂の感じられない映画イベントになってしまっている。

映画製作はチーム力だ、という話をよく聞く。だからこそ、表彰という形で努力が報われると喜びとなり、その感慨が視聴者にも伝わるものなのだろうが、大手映画会社による高い場所代の時代錯誤のパーティとなってしまっていてはしらけるのも当然だろう。有名事務所、大手映画会社の映画だけが対象でいいのか。地味、とされてしまいがちなドキュメンタリーは?社会を告発したドキュメンタリー番組のようなテレビ映像はどうなのか?素人作家の登竜門はないのか?

そして毎度感じる日本の俳優たちのコメントの乏しさ。受賞者紹介のときのやり取りはほとんど想定問答という状態で、ウィットに富む話をできる人は少ない。エンターティナーの枠組みを自ら狭めているような怠慢、というように言ってもいいだろう。個人の自覚の問題だろうか。

2011年1月1日土曜日

NHK 第61回紅白歌合戦 その個人的批評

伝統の音楽番組、紅白。歌手の歌をじっくり聴かせようとする演出は感じられたが、やはり最近のNHKに感じる「力み」「自己満足」が垣間見える内容だった。それは司会の選出からしてうかがえる。結局、きちんとした指摘や批判をまともに受けずに進んでいるタレントや女優を使うがゆえに、緩く生温かい気持ち悪さが矯正されないまま流されてしまうのだ。

まず力量を見せた歌手を絶賛しておきたい。
・クミコ:歌詞を大切にしながら抑揚をつける実力で歌いきった。折鶴をあしらった衣装、歌唱力に強い印象を与えた。
・HY:家族のつながり、平和への願いをストレートに表現した。沖縄の風土を感じさせる楽曲が良かった。

このほかはやや水をあけられる感じだが、石川さゆり「天城越え」、いきものがかり「ありがとう」、坂本冬美「また君に恋してる」、加山雄三「若大将50年 スペシャルメドレー」は印象の残る歌だった。小林幸子も会場を沸かせる衣装で楽しませていた。

ただ、軽量化というべきか、伝統の音楽番組という割には薄い紅白に成り下がっているのは否めない。それは司会の責任が大きい。やはりアイドルグループ「嵐」に気を使いすぎているのが完全に裏目に出ている。5人がひっきりなしに喋るため、歌手の歌への想いがきちんと伝えられていない。噛んだことも笑ってごまかしたり、特別ゲストだった熊倉一雄への気配りが何一つできてない。審査員の野口聡一氏やさかなクンの話をきちんと聞かないあたり、無礼を笑いと勘違いしている底の浅さが露呈し、何とも不快な司会ぶりだった。さらにはSMAPの木村拓哉。審査員席に座り、野口氏の話をきちんと聞かずドライアイスの白煙を息で吹き消していた様はひどすぎる。人間としてどういう神経をしているのか疑いたくなる場面だった。

松下奈緒も司会の任は荷が重すぎたのだろうか。声色を意識的に変えて曲紹介するので「うまくしゃべっている自分」に酔いしれる気分を感じてしまった。司会があまりにも自分を前面に出すと、誰が主役か分からなくなる。人の話を聞いていないがゆえに、話をさえぎる失態もあった。

自分をアピールする司会役が続いて久しい。誰かがきちんと「お前の司会は下手だ」と指摘しないと反省しないのだろう。そういう点でNHKの阿部渉アナウンサーはわきまえた進行ぶりだった。

前宣伝で「見てくれ、見てくれ」とあおり続けたNHK。年末は紅白、と決めているこちらとしてはやはり構成に不満が消えない。昭和にあった歌手と司会の一体感、歌手自身がもっと紅白に誇りを感じていたような雰囲気というのは望むほうが無理かもしれないが、もっと改良の余地がありそうだ。

2010年12月31日金曜日

カンペ目線

トーク番組や音楽番組を見ていて気になるのが、司会者の「カンペ目線」だ。それが曲紹介や番組のタイトルまでカメラから目線を少々ずらしていかにも「読んでいる」風なので、視聴者は興ざめする。「このくらいのこと、きちんと頭に入っていないのだな」と思うのだ。

そうすると普段の心がけが透けて見えてしまう。きちんと準備しないのではないか、適当に番組のことを考えているのではないか。いくら思いやった発言をしたところで態度に出てしまうという意味で、怖いことである。

関連して、「この曲は当時そんなにヒットしなかったよな」という記憶が鮮明な場合の曲紹介で「当時大ヒットした・・・」と語りだすのも、その場しのぎのやっつけ仕事だと思う。自分に振り返り、そういう印象を人に与えることはないかはっとするのだが、人のなすことはよく目に付いてしまう。

2010年11月7日日曜日

涙腺を刺激するドラマ・・・NHK連続テレビ小説「てっぱん」

NHK連続テレビ小説「てっぱん」が面白い。毎回、涙腺を刺激するシーンが盛り込まれ、いつの間にか感情移入している。21世紀に入り、作り手が同世代や下の世代になりつつある中、丁寧な作りが伝わってきて好感が持てる。

尾道の景色、坂道や緑、水道、船。そして人情。こうした贅沢な背景を味方に、ドラマは描かれている。大阪に舞台が移っても、「尾道風味」が利いている。

そして主軸は家族や人のつながりに置かれている。養女だったことが分かった主人公あかり(瀧本美織)。ともすれば叫びわめく、迷惑な主人公にとどまりがちだが、感情を抑えて演技するあたり実力の高さを見せている。新人女優の登竜門としてのNHK朝ドラの面目躍如といったところだ。ふっと見せる翳も強さで跳ね返す。ご都合主義に陥りがちであっても、あかりのキャラクターとして流していけるように映っている。

白眉は富司純子。キャラクターにないような毒をはくきっぷの良さと、娘と分かり合えないまま生き別れた親の後悔や哀しさを表情で演じ、ドラマを引き締めている。嫌味なキャラクターでは見る者を負の感情に流し、裏腹な感情を示すときには同情を誘う。孫と暮らし始めて気持ちがやわらかくなっていく過程をしぐさや顔つきで表すところに女優としての力強さを見せている。彼女の代表作になるはずだ。

芸能事務所の力関係やバーターの色が濃いと、それは視聴者に伝わってくるものだ。製作者側が視聴者に対し「これは面白いだろう」と半ば押し付けがましい演出を始めても、それは悪ふざけにしかならない。大手事務所におもねった配役や主題歌、努力を感じない演技。そういうものがNHK朝ドラにさえ目立ってきていたが、今回の「てっぱん」は毛色がやや違うようにも映る。安田成美のNHK朝ドラ復帰、尾道出身の大林宣彦監督作品の常連だった尾美としのりの出演。そしてともさかりえが期待以上の好演を見せている。

人のつながりのいとおしさが描かれている「てっぱん」。この調子でおもねらず進んで欲しいドラマが始まっている。

2010年10月31日日曜日

土曜ワイド劇場「天使が消えていく」(賀来千香子主演)

台風が関東地方に接近したせいで、土曜日は外出をキャンセルした。仕事のことを考えず、何気なくテレビを見ると、土曜ワイド劇場。新聞広告も大きく出ていた夏樹静子原作の「天使が消えていく」。新聞記者が主人公で、地方に飛ばされ悶々としているという設定に惹かれた。主演は賀来千香子。

賀来千香子のドラマを見るのは久しぶりだな、と思う。以前「世界ウルルン滞在記」でバッグ作りを営む夫婦の家に行っていたのを見たが、人生経験を積んだある程度の年齢でのホームスティはなかなか良かった。贔屓目に見ているせいもあろうが、そういう真摯な姿勢を感じる女優のドラマ、という先入観を持って見た。

記事で書いた難病の子どもの母親は酒に酔い、生活も自暴自棄的。取材先との距離感はともかく、子どもの退院を喜ぶ主人公。来たくもない町で、子どもをあやすことに喜びを見いだしている。自堕落ふうな母親役を京野ことみが演じていたが、悪態をつき叫ぶ姿に成長を見た。まさに化けた印象。「あんたのやっていることは母親ごっこ!」と賀来をなじる修羅を表現していた。そして主役の賀来も職場で上司(一瞬分からなかったが五十嵐めぐみ、TBS連続小説「さかなちゃん」のヒロインでしたね)が「辞めたければやめなさい」の一言に「来たくて来てるんじゃないわよ!」と啖呵を切って感情を噴出させていた。東京で活躍してきた記者の、もしかしたら薄っぺらい「プライド」を持つ人間を持て余す職場の雰囲気が出ているシーンだった。

子どもにかかる手術代をどう捻出するのか。地上波デジタルのデータ放送であらすじに「母性とは何かを問いかける」と書かれていた。展開はスピーディで次が気になるドラマに仕上がっていたが、いかんせんコマーシャルを除けば2時間もないとなると粗削りになりかねない。主人公の女優の美しさ(目が大きいなあ、とか、おしゃれな服だなあ、足長いなあ)という面でカバー、といったところか。昨今の見る気が起きない子供向けドラマではない作りが好感を持てた。展開がご都合主義に進む面があっても、まあ許せるという内容だった。

2010年9月25日土曜日

江守徹主演舞台「麦の穂の揺れる穂先に」(NHK教育で放送)

NHK教育の「劇場への招待」。金曜深夜に冒頭50分ほど見逃しながらも、その後は一気に楽しめる舞台中継だった。平田オリザ氏の丁寧な脚本に支えられ、主演の江守徹の実力を感じさせる舞台で、ほとんど江守徹の演技力を味わうために見ていたような感じだ。

結婚しない娘を案じる、妻に先立たれた父親というのが江守の役柄だ。娘は父親が一人になってしまうことが気がかりで婚期を逃しつつある。いざ娘が結婚してしまうと孤独が押し寄せる。式が終わった日、姉夫婦などが家まで訪ね、そこで「どうだ、寿司でも取ろうか」と江守が皆に呼びかけるシーンは出色の場面だった。それぞれ家に帰る来客たち。無理強いはしないよ、と言いながらも、寂しさが募っていく心の動きをラストに向けて巧みに表現していた。それは窓を眺める行為や所作、ピアノの音色が響く部屋。円熟した大人が持つ悲哀や機微が表れている。

気を入れて見ていなかったが、舞台に打ち込んできているプロフェッショナルの演技をもっと味わうべきだと感じた。言葉の発し方から間の取り方までそこには人物が生きている。エンターテインメントを追求してきた俳優の強さを見て、続けていくことの強さを教えられた気がする。

アイルランドが調味料のようになっている物語も親近感がわいた。劇場で見るとより物語に共感するものがあるのだろうが、テレビではその表情を追うことができる。心配な親心と娘を送り出す安堵と孤独感。生きることの複雑さを感じられる舞台だった。