2010年9月25日土曜日

江守徹主演舞台「麦の穂の揺れる穂先に」(NHK教育で放送)

NHK教育の「劇場への招待」。金曜深夜に冒頭50分ほど見逃しながらも、その後は一気に楽しめる舞台中継だった。平田オリザ氏の丁寧な脚本に支えられ、主演の江守徹の実力を感じさせる舞台で、ほとんど江守徹の演技力を味わうために見ていたような感じだ。

結婚しない娘を案じる、妻に先立たれた父親というのが江守の役柄だ。娘は父親が一人になってしまうことが気がかりで婚期を逃しつつある。いざ娘が結婚してしまうと孤独が押し寄せる。式が終わった日、姉夫婦などが家まで訪ね、そこで「どうだ、寿司でも取ろうか」と江守が皆に呼びかけるシーンは出色の場面だった。それぞれ家に帰る来客たち。無理強いはしないよ、と言いながらも、寂しさが募っていく心の動きをラストに向けて巧みに表現していた。それは窓を眺める行為や所作、ピアノの音色が響く部屋。円熟した大人が持つ悲哀や機微が表れている。

気を入れて見ていなかったが、舞台に打ち込んできているプロフェッショナルの演技をもっと味わうべきだと感じた。言葉の発し方から間の取り方までそこには人物が生きている。エンターテインメントを追求してきた俳優の強さを見て、続けていくことの強さを教えられた気がする。

アイルランドが調味料のようになっている物語も親近感がわいた。劇場で見るとより物語に共感するものがあるのだろうが、テレビではその表情を追うことができる。心配な親心と娘を送り出す安堵と孤独感。生きることの複雑さを感じられる舞台だった。

2010年9月19日日曜日

ガサコ伝説-「百恵の時代」の仕掛人(新潮社刊)

昨晩、書店で購入し、一気に読み終えた。購入時は1600円が高い、と感じ、ポイントで無料なら価値があるかもしれないが、お金を出してまで読むべきだろうか、と躊躇した。それでも、新聞記者出身のフリーランスライターの手によるものである、という事実が気になり、ひいては「百恵の時代」という言葉に、芸能人に取材をしているという点にひかれ、購入した。

月刊「平凡」の一編集者の生き様に迫るのが本書の趣旨だ。百恵の時代、というよりも、歌謡界、芸能界のかつて隆盛を極めたころの時代という気がする。猛烈に仕事をする裏側でかかえていたであろう孤独に対する共感が、この本の底流にあるようだ。

下世話に言えば、タレントがタレント自身ではなく編集者について積極的に話している、という事実に少々の驚きを感じる。自分であこがれた世界だけども芸能界にいればつらい時がある、そのときにそばにいてくれた人だった、というくだりが出てくるが、読者としては「そのつらい時って何だろう」と興味を持ってしまう。編集者の話が主題の本書には確かに直接関係がないのだが、芸能界の裏側をつかむという目的がずっと気持ちを支配して読み進めていたため、どこか筋違いかもしれないが食い足りないと思ってしまうのだ。

もっと言えば、70年代後半からのアイドル全盛時代、タレントは何を感じていたのか、という、編集者の生き様とは違う興味が起きてしまう。山口百恵はどういう人だったのだろう、その当時のアイドルたちの人間模様はどうだったのだろう、という興味が続いてしまうのだ。百恵の時代、という70年代半ばから後半に特化するだけでもエピソードが豊富にありそうだが、それは「あの輝いた時代」と題すべき本で別途進めればよいかもしれない。そしてそういう興味なら自分で書き進められないか、などとも考えてしまう。

膨大な取材を続けていたのだ、ということは読んでいて分かる。この人はこういった、別の人はこう述べた、という羅列にならないように工夫し、構築する作業も大変なものだったことは想像がつく。形のないものを練り上げていく作業は根気がいるはずだ。

年表がついているといい、と感じた。平凡が登場した時代の背景はその後の日本の世俗の変遷を考える上で役立つ。そして芸能界という人々の夢とリンクした年表を理解することは日本社会を考える有益な資料になるはずだ。さらにそこを生きた雑誌メディアの人の心意気がエピソードを介して伝わってくるのではないだろうか。

事務所が牛耳り、編集に介入するようなことすら現代はネットを通じて人々が理解し始めている。作り物の白々しさ。ネット時代の直前にはインタビューが多く掲載される雑誌があった。そしてその前が「平凡」のような雑誌の時代だった。百恵の時代、というなら山口百恵に関するエピソードから描けるものがあったと思うが、すでに時代を形容するほどの存在に山口百恵が巨大化してしまっている現代がある。人々が店頭で本を取るには十分に目を引く。正確に言えば、歌謡界と雑誌の関係を記述している本なのだ。

まずタレントの取材がもっと多いと良かった。そしてレコード業界、事務所サイドの取材ももっと欲しい。彼らが「平凡」をどうとらえていたのか、が重層構造を生み出すはずだ。人気稼業と掲載スペースの関係はスリリングな場面だが、いささかあっさり記述されている。もしかしたらそこにこそ、ここで描かれる編集者の真骨頂があったはずだ。1~2人のエピソードでは物足りない。すべては下世話な興味からきてしまうのだが。

この本の趣旨は一編集者の人生で、すでに当人が他界してしまっている。だからこそ惜しい。当人から見えた風景は違っていたのではないか、と思えてしまう。それでも一気に読めた。仕事に情熱を注いだ編集者の勢いが伝わってくるからなのかもしれない。