2011年2月20日日曜日

日本アカデミー賞と俳優のコメント力

日本アカデミー賞のテレビ中継を見た。ギャグさえも用意してきたメモを見て読む関根勤。司会という自覚の感じられない松たか子。華やか、というよりも内輪受け、あるいは賞そのものの権威づけに対するしらけぶり、というのが伝わってくるちぐはぐなものだった。

広くあまねく公開されている映画のなかで優れたものを表彰し、映像文化を盛り上げようというよりも、公の場を使って女優や俳優、その背後にいる事務所関係者などを「接待」しているというような気持ち悪さ。回数を重ねてもそういうものがない限り、魂の感じられない映画イベントになってしまっている。

映画製作はチーム力だ、という話をよく聞く。だからこそ、表彰という形で努力が報われると喜びとなり、その感慨が視聴者にも伝わるものなのだろうが、大手映画会社による高い場所代の時代錯誤のパーティとなってしまっていてはしらけるのも当然だろう。有名事務所、大手映画会社の映画だけが対象でいいのか。地味、とされてしまいがちなドキュメンタリーは?社会を告発したドキュメンタリー番組のようなテレビ映像はどうなのか?素人作家の登竜門はないのか?

そして毎度感じる日本の俳優たちのコメントの乏しさ。受賞者紹介のときのやり取りはほとんど想定問答という状態で、ウィットに富む話をできる人は少ない。エンターティナーの枠組みを自ら狭めているような怠慢、というように言ってもいいだろう。個人の自覚の問題だろうか。